森口 善夫 / 歯科医師 院長

幼少・小学校のころ

高松市木太町に生まれ、4人兄弟の3番目。双子の兄、僕、そして妹という兄弟に恵まれた家庭環境で育ちました。当時でも4人兄弟は多い方ですね。3番目ということで幼い頃は相当なわがままであったようです。

というのも、両親にほとんど怒られた記憶がないのです。父親は朝から晩まで仕事、仕事。休日すら仕事に追われ、たまの休みさえも接待ゴルフで怒る暇すらあまりなく、母親はというと、非常におっとりした性格であった故に、多少叱られることはありましたが、こっぴどく怒られた記憶はありません。3男なので要領がよかったのかもしれませんし、はたまた4人も兄弟がいたので僕まで手が回らなかっただけなのか、とにもかくにもわがままっ子に育ちました。

だから幼い頃は、いろいろな人に迷惑をかけたように思います。例えばおもちゃ屋さんへ行けばおもちゃがほしくて駄々をこねまくったり、スーパーへ行けばお菓子を買ってもらうまでジタバタしたり、歯医者さんに行って「痛い」とか「治療がいやだ」とか「先生キライ!」とか泣いたり喚いたり・・・。

今思うと先生大変だっただろうなぁと思っています。自分の患者さんで当時の僕のような方が来られると、苦労するでしょう。今になって当時の先生の気持が良く分かります。でも、元わがままっ子であったからこそ、かえってそういう子供の気持ちも良く分かるんです。時には怒ったり、時にはやさしい言葉で励ましたりして子供と上手く付き合う必要があるんですね。

そんなわがままっ子も小学生になり、まわりの友達と集団行動をするようになって、どんどん成長を遂げたように感じます。ハッキリとした「きっかけ」は覚えていませんが、ある一時を境に「先生の言うとおりに治療を受ければ虫歯治療なんか痛くなんかない!」ことに気付き、歯医者の先生に逆らわなくなったのは覚えています。

中学・高校生のころ

中学校は玉藻中学校に進学。中学校に入る前は部活という言葉の響きがなんだかカッコよく思え、なんでもいいから部活がしたいと。で、中学に入ってすぐに陸上部に入部しました。

陸上部を選んだ理由は二つあって、一つは人よりほんの少し速く走ることができるということしか取り柄がないと思ったのと、もう一つ、好きな女の子が陸上部に入部したから、と今思えばずいぶん不純な動機でした。

1500M走など長距離を専門としていたのですが、動機が不純なだけに成績はあまりいいものではなかったです。そんな成績であったにもかかわらず、将来は箱根駅伝のランナー!なんてバカげた夢を見ていました。
そして高校へ進学。

学力レベルがなんとなく合っているのと、その当時好きだった女の子が進学しそうというこれまた不純な動機で、自宅から駅まで自転車で30分、電車で10分、更に駅から徒歩30分も延々坂道を登り続け、やっと登校できるというかなり遠い香川県立高松西高等学校へ進学しました。

駅伝ランナーの夢なんかとっくに忘れ、前々からやってみたかったという理由で、サッカー部に入部。ただしあまりサッカーに秀でた才能はないらしく、レギュラーでバリバリ活躍するプレーヤーにはなれませんでした。ただ、おもしろおかしく友人たちと球を追いかけていたことを覚えています。

この頃将来なりたい職業は、現在の歯科医師ではなく、なんと建築士でした。受験も、建築士になるべく某国立大学の工学部を受験、合格までしました。

ただ、受験直前あたりから自分は本当に建築士になりたいのかどうか悩み始めました。これからは就職難で厳しい時代、そんな大変な時代に建築士として生きていくのはすごく大変ではないのか、と考え(子供のくせにませた考えをしたやつだと今では思うのですが)本当にすごく悩みました。

大学の合格が決まっても、私はまだ悩んでいました。「本当に建築士でいいのだろうか?」その時です。両親から、ふと「歯科医師になったらどうだ」という一言をもらいました。瞬間「これだ!」と思いました。実はおぼろげに考えていた理想の職業とピッタリ一致したのです!その一言が背中を押してくれました。そうして私は歯科医師を目指すことになったのです。

というわけで、合格していた国立大の工学部をたった一日だけで休学することとなったのです。あの日、あの時、(♪あの場所で)両親からの一言で僕の人生は大きく方向転換することになりました。あの一言がないと今の僕はなかったと思います。若輩だった自分に新たな道を示してくれた両親にはとても感謝しています。

歯科大生のころ

一年浪人して名門、大阪歯科大学に合格することが出来、歯科医師への道のりを歩き始めました。

大学では中高時代のさわやかなクラブとはうってかわって、暑苦しい(?)柔道部に所属しました。当時の僕は身長180cm体重60kg、ガリガリでともすればひ弱な男の子に見られがちであった自分自身を変えたくて入部しました。

しかし、簡単お手軽に強くなりたいという甘い考えはすぐに吹っ飛ばされ、逆にと~っても怖~い先輩方に非常に厳しい練習を指導していただきました。とくに夏の合宿ではあの有名な篠原選手や野村選手を輩出した天理大学にて同大学の選手たちと合宿をともにさせていただき、当時は本当にきつくて泣き出しそうで、1分1秒でも早く終わって欲しいと願うばかりでしたが、おかげで肉体的にもさらに精神的にもすごく成長できたと思います。今思えばとても貴重な経験であったと思っています。

昇段試験に合格して黒帯(初段ですが)となり、団体戦のレギュラーにもなりました。一番の想い出は、大学5年生のとき、全国の歯学部生の柔道大会で団体戦準優勝したことです。決勝戦で本当にあと一歩が届かずとても悔しい思いをしました。当時の共に戦った仲間たちのことは生涯忘れないでしょう。

毎日学校が終われば柔道か、仲間たちと遊んでばかりで、大学五年生になるまで、勉強という勉強はほとんどしませんでした。前期・後期テストの期間だけ一夜漬けし、なんとか試験をぎりぎりクリアを繰り返してきましたが、さすがに6年生になると国家試験も迫ってきます。一夜漬けでなんとかなるわけもなく、今までのダラダラした生活から一転して朝から晩まで勉強、そして勉強、さらに勉強という日々が始まり、半年間にわたり苦労しました。

何せ今までの勉強の蓄積はほぼ皆無であり、ほとんど使ってこなかった脳に6年間の勉学を詰め込んでいかなければならず、柔道の練習とは違う意味で辛かったです。

学生時代を通してさまざまな人と出会いました。ライバル的な存在の友人、尊敬する先輩、慕ってくれる後輩などなど。そして、共に苦しいときに励まし合ったり、ケンカしたり、進むべき道に迷ったときにアドバイスをくれたりと、色々な場面で互いに刺激し合いながら成長することが出来ました。人との出会いというのは人生を有意義なものにするためにとても大切なものであることを自分の肌で感じることができました。これから先もいろいろな人との出会いを大切にしていきたいと思っています。

研修医時代

猛勉強の甲斐もあり歯科医師国家試験に見事合格!!歯科医師一年生となり、初めの頃はバリバリ患者様のために働きたい、もっともっと理想的な治療がしたいという願望と、乏しい臨床経験と知識のためにそれができない現実とのギャップで苦しみました。

誰もが通る道なのですが患者様のお口の中を診させていただく以上「知らない」「できない」では済まされないことがあまりに多く、そのギャップを少しでも埋めようと、朝から夕方まで大学の診療を終えるとすぐに大学時代の柔道部の先輩の歯科医院に見学に行き勉強させていただき、11時前に帰宅するという生活を研修医の2年間送りました。

その後、研究生として2年間も大学で診療する傍ら、その他に4軒の病院や歯科医院で非常勤として診療させていただきました。おかげで様々な知識を得ることができ、また様々な経験をさせていただき、さらにめぐり会った同僚と切磋琢磨でき、人間としてもさらに大きく成長できた期間でした。

中でも、兵庫県の山間の、つまりは高齢化が進んだ地域の病院での勤務はそれまでにない経験ばかりでした。というのも、ご年配の患者さんがとても多く、それまでほとんど治療の経験がなかった義歯の治療について勉強でき、また、そういった方々とのコミュニケーションのとり方などについても勉強できました。

おがた歯科へ

4年間大学に籍を置き、自分なりに頑張って様々なことに取り組んできました。しかし、一人の歯科医師としてもっとステップアップしたいという気持ちが強くなり、就職しようと考えるようになりました。

いろいろ開業されている先生のところへ見学にいきました。そしておがた歯科クリニックに出会ったのです。ファーストインプレッションは「カッコいい~」でした。それまでに見たことがないようなオシャレな医院だったのです。

だけど、おがた歯科はそれだけではないんです。スタッフが全員テキパキ行動し、チームとしての一体感をすごく感じました。最後は人一倍患者様のために情熱をもって治療に取り組み、また自分自身も常に成長し続ける院長の緒方先生に魅せられて、おがた歯科で働きたいと思いました。

勤務し始めて、まず感じたことは自分が今までやってきたことと、おがた歯科クリニックで行っていることのレベルの差でした。院長の妥協を許さない治療への姿勢、患者さん一人ひとりを常に真剣にもてなそうとする姿勢、新しいことをどんどん吸収しようと勉強する姿勢、どれもそれまでの自分に全く足りていなかったことで、成長への強烈な刺激となりました。そんな院長の下3年間修行させていただき、歯科医師として大きく成長することができました。

そして、新たなステップへ・・・

開院へ・・・

今まで自分が歯科医師として学んできたこと、人間として成長できたこと、その全てをもりぐち歯科クリニックに生かして、皆さんの健康に貢献したいと考えております。

最後に一言。僕が歯科治療を行う上で大切に考えていることが二つあります。

一つは「優しさ」です。歯医者を受診される方は皆さん何かしらの問題を抱えていることがほとんどです。何も問題を抱えていない人は少ないんです。優しく対応することで安心感を与えることが出来るように心がけています。

もう一つは、「情熱を持って治療に臨むこと」です。皆様一人一人に合った最高の治療を確実に行うように努めています。そのためには歯科医師として更なる飛躍を目指し、日々情熱をもって勉強しています。

スタッフと共に更なる成長を目指して頑張っていきます!
みなさんこれからもよろしくお願いします!!